2013年11月22日

出現した愛染明王


「今が一番幸せ」という感覚が続いている。朝起きると目の前にある新しい一日にワクワクし、夜は今日一日が無事に終わったことに感謝して、次がどんな日になるかを楽しみにしながらゆっくりと休む。平凡な生活の中にある穏やかさに浸った日々が淡々と過ぎ、今のままで十分幸せと感じる。

ここで死んだとしても、きっと感謝の気持ちしか残らないだろうなあ。ひとつ後悔するとしたら、夫や親を残して先に逝くことだろうか。

夫と一緒に生活を楽しみ、自分で適当に楽しんでいる範囲においての私はここで死んでよい。

しかし、物語りはそこで終わらないのである。

突然、激しい喉の痛みが始まり、痛みに向き合わざるを得なくなった。喉に意識を集中して指を動かし紙の上に表現していくと、最後には痛みは稲妻と化して喉を裂き、中から戦士が出現した。


私の中の愛染明王。

胸のしこりから絵を通して出現した少女は、もはや少女ではない。

彼女は言う。「慌てなくてもよい。休息することも必要。しかし、時が満ちて中心から沸き起こる幸福感が確かなものとなったとき、次へと踏み出すのだ」

彼女は強い意志と情熱に燃える健全な怒りの炎を燃やしている。この愛染明王は、しこりの少女が胸に抱いていた愛の炎が変容した姿でもあった。顔はおどろおどろしい憤怒というよりも、意志の力にみなぎっている。

「楽しみを発見するのはよいことだ。しかし、自分だけが楽しければよいという段階から抜けなさい。」

内なる怖れを退け、より全体的でよりよい世界の創造を求める建設的な怒りは、意志、決意、行動の原動力となる。

色を塗っているうちに、手に持っているのは剣ではなく、トーテムポールだと判明した。トーテムポールを持つスピリチュアルな戦士愛染明王。真面目だが、ユニークでユーモアに溢れたところが何ともいえない。


社会に対して憤りを持つのはよろしい。これは変だ!と思うことがあってよろしい。
自分はこう感じると表現してよろしい。既存のものにこだわらなくてよろしい。

窮屈になったらそこを出ればよろしい。
まずは、ただ出るだけでよろしい。

そうしたら、新しいことが入ってくるから。


写真:タッチドローイング 「私の中の愛染明王(Emerged Ragaraja Vidyaraja Self)


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