2012年9月17日

海を渡るトーキング・スティック


ノースウェストを思い出させるものを持っていたいと思ったとき、トーテムポールが浮かんだ。そこで、ダウンタウンのウォーターフロントで、観光客を相手にミニトーテムポールを彫っているネイティブの人たちがいることを思い出し、行ってみると、運よく一人の男性が道端で彫っており、出来上がったものが前に3つ並んでいた。

私がその中の一番小さくて一番太いものを手に取ると、その男性は言った「これらのひとつひとつには、ストーリーがあるんだよ」

私は大きく頷いて、手にとった作品のストーリーを教えてと頼んだ。

「ママベア(母熊)がサーモンを抱いているんだ。ママベアは子供たちをしっかりと守り育て、子供たちはサーモンを食べて成長するんだ。サーモンは、家族やコミュニティに滋養を与えるとても大切な食べ物なんだ」

私はハッとした。7月のタッチドローイングリトリートのペアワークで、パートナーのモージーンが私のために描いた絵の中に、これと同じものがあったからだった。

「ああ、私はこれを手にすることになっていたんだ。知人が以前、私のためにまさにこれを絵に描いていたの。これは偶然ではないんですよ」

このとき、大いなる意図のようなものを感じ取り、その意図が織り成すストーリーの中へと引き込まれていく感覚を覚えた。あのときモージーンは、その絵の意味が全くわからなかったが、今ここで繋がったのだった。

男性は少し驚いたようだったが、彼は何かがわかっている様子でもあり、黙っていた。そして言った。

「これはトーキング・スティックなんだよ。ほらね、この柄のところを持つようになっている。トーキング・スティックは、人が集まって輪になって座り、一人ずつ話すときに話す人がこのスティックを持つんだよ。他の人は話をただ聴くんだ。スティックを順番に回していくんだよ」

私はまた大きく頷いた。トーキング・スティック・・・私は既にその情景の中にいた。

「あなたのお名前は?ご出身は?」と聞くと、「私の名前はラリー。ブリティッシュ・コロンビア(カナダ)から来たんだよ」と答えた。

「ラリーさん、あなたに会えたよかったです。今日は、あなたのような人に会いたいと思っていたの。本当にありがとう」

自然に両手が動き、合掌したら、ラリーさんもニッコリして合掌で応えてくれた。心が震え、涙が溢れそうになった。

すべてのことが完璧な形で起こっていた。

このトーキング・スティックは、ただ模様がついた棒ではない。ラリーさんの心がこもっている。そして、ラリーさんの中に流れるネイティブの歴史もこの中に刻まれている。

トーテムポールは本来、このノースウェスト地域のネイティブが家系や部族の伝説・ストーリーを刻み、家の前や中、墓地に立てたものであり、決して人に売るものではない。しかし、厳しい現実にあって、ラリーさんのような人は、これを生活の糧としている。

2年前に、ラリーさんの彫刻仲間のジョンさんが、シアトル警察の警官に射殺されるという痛ましい事件が起きた。これはアメリカの歴史と社会の問題が凝縮された事件だった。

ジョンさんは、木を小脇に抱えて、その木を掘るためのナイフを片手に街を歩いていたところ、パトロール中の警官に止められた。警官は警告に応じなかったとして、所定の手続きも踏まずに銃を数発発射し、すぐにその場でジョンさんを射殺してしまった。

ジョンさんはほとんどホームレスの状態で、後でわかったことだが、ネイティブの人たちに多く見られる長いアルコール依存症の弊害で、耳がよく聞こえないうえに、脳にも障害があり、身体的にも問題があるためヨロヨロとしていたそうだ。

「この男は非常に危険で、ナイフを持って自分に襲いかかってきそうだったため正当防衛だった」と、20代後半の白人警官は主張したが、ビデオ証言によると、ジョンさんは襲いかかるどころか、ヨロヨロと弱々しい感じで、こちらを向いてもいない。

一般市民にもネイティブのコミュニティにも衝撃的な事件となり、警察のあり方について、その後長い間大論争となった。裁判の末、警官は罷免された。もし被害者が白人で、例えばこれがスーツを来た人だったら、どんな結果になっていただろう。当然、刑務所送りだ。納得できない、苦い思いだけが残る事件だった。

「すべての悲劇はコロンブスが来たことから始まったが、それをここで言っても仕方がない。今日は癒しの日なのだ」と、追悼式のときに、あるネイティブの長老が話した。重い歴史を背負ったネイティブの人たちが抱える問題は根深く深刻である。彼らの怒りや悲しみは深く、それは私の想像をはるかに超えている。

アメリカに20年住み、この国の現実社会の闇を見てきた。相互理解と許しから癒しをもたらし、ここから新しく友情に変えていかない限り、この連鎖は続く。

しかし、同時に光もある。射殺されたジョンさんの兄が中心となって弟のために彫った巨大なトーテムポールが、一年がかりで完成したとき、ネイティブのコミュニティだけでなく、多くの一般市民も参加して、山車を引くときのように、トーテムポールを皆が何列にも並んで肩に担ぎ、ダウンタウンの道を練り歩いた。

そこには皆の祈りがあり、友情があり、希望があった。私はそこに、個人から始まり、家族、地域、国家と、あらゆることが相互に関係し、大きな循環の中にあることを、光を投じることの大切さを、垣間見た。

ラリーさんが作ったトーキング・スティックを握りしめると、輪になって座っている人々の姿が目に浮かぶ。

ひとりひとりがユニークな存在であり、それぞれが語るべくストーリーがある。誰かが語り、残りの人は口をはさむことなく、ただ傾聴している。そこには、相手に対する敬意と謙虚さの空気が流れている。

皆が心を開いたとき、ありのままにシェアされたことから共感や理解が生まれ、それは誰かの心を動かすかもしれない。語り手は母熊であり、母熊が皆とシェアすることは、滋養になっていくのである。ひとりひとりが語り手でもあり聞き手でもあり、誰もが等しく、誰もが誰かに滋養を与え、誰かから滋養を受け取っている。

鮭は、川でふ化して海へと向い、やがて川へと戻ってくる。そこからまた命が始まり、終わりのない循環がある。ひとりひとりが人生の道を歩くとき、そこには尊いストーリーがあり、互いが繋がり合い、助け合い、分かち合うことで、個人とともに全体としても成長していく大きな循環の中にある。

トーキング・スティックを持って家に帰ると、私は興奮して、この絵を描いてくれたモージーンに、すぐメールをした。翌日、モージーンから返事があった。

「私も思うのよ。私もあなたも、そしてみんなが、そうやって何かに影響を与えていくのよね。「触れた」相手が何らかの形で変容していく。それは、いつどんなときに起こるのか全くわからないけれど、ある日、驚くべき形で起こるかもしれないわね。あの時あの人に会っていなかったら今の自分はないんだって思うことが、自分が知らない間に相手に起こっている。人生がそれ自体に語りかけているって感じかしら。そうやって、魔法は続いていくのよ」

ラリーさんのトーキング・スティックが海を渡る。そういえば、モージーンは川ではなく海だと言っていた。彼女の描いた熊がなぜ海を見つめているのか、今、まさにこの文章を書いているときにわかった。





2012年9月14日

迫り来る森


約20年住んだシアトルを発つ日は、4日後に迫っている。

先週やっと引越しの荷物を出すと、家の中が片付き、いよいよ最終段階に入った。

私は、日本へ帰ることが決まってから、自分が暮らしたこのノースウェストという土地をもう一度しっかりと感じ取り、そのエッセンスを自分の中にしみ込ませて統合させたいという思いになった。

アメリカ大陸の雄大さを背景としたこの土地のエネルギーを感じ取るとき、そこにある森や湖、海や空に何かが刻み込まれているのを感じる。それは、刻々と変化する時の流れの中にあっても、変わることなく太古から連綿と続く、祈りのようなものなのだろうか。

私はこの土地に暮らし、遠い記憶のような深い夢をこれまで幾度か見た。それは、魂の記憶とも言えるような懐かしさがあり、深奥から揺るがすほどの力強さを持っている。

しかし、日常の煩雑さでその夢は記憶の片隅へと追いやられ、ほとんど忘れ去られようとしていた。それがタッチドローイングという形を変えて、完璧なタイミングで再び目の前に現われたのであった。

7月にあったタッチドローイングのリトリートで、パートナー同士が向かい合って互いのエネルギーを感じ取った後に、瞬間瞬間に浮かんだイメージを特定の時間描き続けるという作業を行った。

描いた後で互いに絵を見せ合って、シェアをする。私のパートナーはモージーンという名前の女性であった。彼女は16枚描いた絵を順に一枚ずつ説明しながら見せてくれたが、11枚目を開いた瞬間、私はアッと声を出しそうになった。

それは、8年ほど前に見た夢の景色そのものだった。



「私の頭の中に突然木が現われて、それも針葉樹じゃないといけないって言って来たの。それまで絵の具はずっとオレンジ色を使ってきたけれど、今度は緑に変えて、わけがわからずただただ針葉樹でスペースを埋めたのよ」とモージーンが言った。

その夢はあまりにも強烈だったので、鮮明に覚えている。

それは、カナダの森を訪れる当日の朝方見た夢だった。いきなり目の前に、針葉樹の森が迫ってきて、その迫力と溢れる生命エネルギーに圧倒されて目が覚めた。ほんの一瞬の夢であったが、その一瞬で体中に電撃が走るほど、強烈なシーンであった。本来の森の命の力とはこういうものなのか・・・。もう人間なんて足元にも及ばないほどの圧倒的な強さである。

その夢を見た翌日、カナダの森でハイキングをしたときに、不思議な体験をした。うっそうとした森のトレイルを歩いていると、急に体が軽くなって、足取りも軽くなり、やがてごく自然に走り始めていた。石がころがっていたり木の根っこが出ているトレイルを、私は動物のような勢いで走っていた。足が浮いているようで、宙を蹴って跳ねていたその感覚は、そう、鹿だった。

気持ちがよくて、跳ねながら、ふふふっと笑いがこみ上げた。懐かしいような感覚でさえある。その直後に、体の感覚が消えてなくなり、宙にふわりと浮いて目だけが空間に広がっていき、私は森とひとつになった。

そのとき、私は森となり、森は私でもあった。そこには音も時間もない。空間のあらゆるものとひとつになり、喜びと調和の中でただ存在していた。

翌日、別の場所でハイキングするため移動しているときに、前方に広がる風景に息を呑んだ。それは、あの夢のシーンを切ってここに貼り付けたかと思うほど、夢で見た森とそっくりであった。

森を構成する木の一本一本が歌っている命の讃歌が聞こえて来るようである。喜びに満ちて輝いており、森というひとつの群れとして強烈なエネルギーを放って、私の目の前に迫ってきた。

それまで私が持っていた「木」という概念を超えた、知性を持った存在であった。ネイティブの人たちは木のことを「Standing People」と呼ぶが、納得できる。彼らの「生きとし生けるものはすべて等しく、すべてはひとつであり繋がっている」というものの見方は、このような感覚から自然に生じているのであろう。

目の前に迫り、私に語りかけてきたノースウェストの森。その力を私は忘れない。

私もStanding Peopleの一員になりたい。新しい世界が、人間が、真にStanding Peopleと調和の中に存在する世界となることを祈り、その祈りを私は表現していきたい。

私への大切なメッセージを、モージーンは忠実に、そして見事に再現してくれた。これは、これから日本へ戻る私に力を与えてくれる大きなギフトとなった。

モージーン、ありがとう。

さらに、もうひとつ興味深いことがあった。

仙台に移ることが決まった後に、また夢を見た。それはまだ行ったことのない山形(?)の森だった。この森も、あのときの夢と同じで、圧倒されるほどの強烈な生命力を放っていた。

ノースウェストの森が、山形の森と話をしたのだろうか? だとしたら、その2つを結ぶものは何だろうと考えたとき、 返ってきた答えは「宇宙の愛」だった。

モージーンは、また、これを象徴するかのような絵も描いていた。

彼女は言った。「このイメージが浮かんだとき、2枚の紙を用意しなくちゃいけなかったの。構成がしっかり決まっていて、2枚がこういう風に分かれるんだけど、離れていてもひとつなのよ。離れているように見えているだけで、離れていないの。ほら、こんな風にひとつになるの。すべてはひとつなの、巡ってくるの。あなたの愛は、宇宙の愛でもあるのよ」