2012年7月7日

人生の青写真 - シアトルから仙台に移り住むことになった


生まれるときに決めてきた人生の青写真と言われるものは、きっとあるのだろう。私はこれまでに、それを垣間見る瞬間が何度かあった。アメリカ留学や結婚もそのひとつである。その瞬間がやってくるとき驚きはなく、常にそこに静観する自分の存在を強く感じる。まるで地図にピンを刺して、今このポイントに来たよと言われているのを黙って聞いているような感覚である。

夫が東北大学会計大学院でスピーチ・コミュニケーションを教えることになり、この10月から5年間、私たちは仙台に住むことに決まった。この話は天から降ったか地から湧き出たのか、いずれにしても、本人たちの通常の意識からは来ていない。

それは、昨年秋に私が帰省した際に、具体的な形として突然やって来た。当初私だけ日本に帰る予定だったが、誕生日も感謝祭も夫一人で過ごすことになるのはあまりにもかわいそうと思い、日本へ遊びに来ないかと誘った。「たまたま」飛行機のマイレージが溜まっていたため、夫は高い航空運賃を払うこともなく、運よくスケジュールもとれて1週間ほど遊びに来れたが、仕事が入って結局実家に立ち寄ったのは2日ほどだけ。すぐに帰る日が来てしまった。

私より先にシアトルに戻ることになっていた夫は、羽田から夜中の便に乗るまでの時間が空いたため、東京に住んでいる友人Dさんに声をかけて夕食を共にした。

大学で教える話は、その夕食の席で突然もちあがったのだった。Dさんは、もともと私がシアトルで留学していたときにシェアハウスに住んでいた人だった。彼は日本人女性と出会い結婚し、日本で生活している。その彼は東北大学での契約が満了したため、後任を探しているとのことだった。彼は私を通して夫を知ったが、今では私よりも夫の友人になってしまっている。2人は同じ年に生まれ、誕生日が2日しか違わないという、これまた不思議なご縁なのである。

夫は弁護士になる夢を持ち、法律を勉強して弁護士になったものの、最初の就職先で入社した年に人員削減のため首を切られてしまった。結婚して1ヶ月後のことである。ローラコースターは急降下した。人生最初の挫折だったのだろう。ショックの状態が続き、高学歴が災いし、夫がかろうじて翻訳の仕事を始めるまでには数年かかった。

ある日翻訳会議でプレゼンテーションをするはめになり、人前でスピーチをした経験がなかった彼は「トーストマスターズ」というパブリックスピーキングなどのコミュニケーションスキルを磨く会に入った。入ってみたら面白くて、そこから会にのめり込んでいった。ボランティアで数年間大役も勤め、仕事や日常生活が危ぶまれるほどのめり込み、私は夫に怒り、会や会員の人たちを恨んだこともあった。

しかし、人生は本当に何が幸いするかわからないものである。

今回の東北大学の話は、夫の学歴とその会での経験がなかったら来なかっただろう。翻訳業は悪くはないが、家にこもって翻訳の仕事をしているとき、夫はイキイキしてはいない。しかし、人と接し、コミュニケーションスキルを人に伝え、教育し、人を育てる活動をしているときは輝いている。「いつか、これがライフワークになるといいね」と夫に言ったとき、嬉しそうな顔をしていた。

寝食忘れるほど好きで人より楽にできて、自分ならここをこう変えてこうやりたいと思うこと。彼の天性の仕事はコミュニケーションスキルを人に教え、育てることのようだ。翻訳ではない。

私はいつか夫にチャンスがやってくることは薄々感じていたが、こちらが探してもいないときに、向こうからやってくるとは2人とも夢にも思わなかった。YESと返事をしたのは冬のことだったが、その後大学側での審査や会議が遅れに遅れ、先日7月4日、町のあちらこちらで独立記念日の祝賀の花火が上がっているときに、正式な返事が届いた。

このタイミングは、私にとって象徴的だった。

26歳で留学を終えて日本に戻り、東京で生活していたときも、絶対にまたアメリカに戻ってアメリカで仕事をしたいと心に決めていた。毎日毎日「アクエリアス」という曲を聴いていた。歌詞はわからなかったが、その曲を聴くとなぜか熱い思いが沸きあがる。絶対にシアトルに戻る、と決めていた。

それから2年後、夫と結婚をするために日本を離れた。ちょうど20年前のことだった。親や日本から離れることは、私にとって意味のあることだった。私はそうすることで体験し、学ぶことが必要だったのだろう。親や日本から離れさえすれば、抑圧から解放されると信じていた。しかし、それは間違っていた。

あるときから日本へ引き戻される流れが始まり、日本でカウンセラー・セラピスト養成講座を受講して、パーソナルパワーを取り戻し始めた。そして、マインドの開放こそが真の自由だということを身を持って理解できたとき、東北大学からの話がやってきた。アメリカ植民地がイギリスからの支配を拒否して独立を宣言した日に、日本へ戻ることが正式に決まった。この流れはあまりにも、できすぎていやしないか(笑)。

友人Dさんは一体何者なのだろう。夫と私と約束して、えらい大役を引き受けてきた魂なのだと思う。なぜなら、私が彼と同じシェアハウスに住んでいたときに、彼の母親がかつてミュージカルに所属しており、6070年代に自由を求めたヒッピーをテーマにしたブロードウエイでのミュージカル「ヘアー」の曲が大好きなのだと話してくれ、他にも8人の住人がいる中で、よりにもよって私にテープをくれたのである。そのときは、もらっておきながら何も関心がなかったが、苦しい東京暮らしをしたときに、毎日毎日テープが擦り切れるほど聴いた。シアトルに戻ることを自分に固く誓って。「アクエリアス」は最初の曲なのである。

昨日、歌詞を拾ってみた。なぜあのとき胸が熱くなったのか、納得できる。

Aquarius

When the moon is in the Seventh House
月が第7宮にあり
And Jupiter aligns with Mars
木星が火星と整列するとき
Then peace will guide the planets
そのときこそ、平和が惑星たちを導き
And love will steer the stars
愛が星々の進路を定める
This is the dawning of the age of Aquarius
これこそがアクエリアス時代の夜明け
The age of Aquarius
水瓶座の時代
Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! アクエリアス!

Harmony and understanding
調和と理解
Sympathy and trust abounding
思いやりと信頼が満ち溢れ
No more falsehoods or derisions
虚偽と愚弄がなくなる
Golden living dreams of visions
黄金の命輝く夢が描く未来像
Mystic crystal revelation
神秘的なまでに澄み切った啓示
And the mind's true liberation
心の真の解放
Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! アクエリアス!


仙台行きは、夫だけでなく私のためのタイミングでもある。そう、2人にとってのタイミング。

これから仙台への引越しで忙しくなりそうである。



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