2012年3月19日

異次元からのコミュニケーション - 黄金の玉


料理を口にすると作った人の心の状態が伝わってくる感じがする、絵を見ているとそこから音がしたり匂いがしてくるような感じがする、音楽を聴くと情景が浮かぶ、文字や行間に込められた意図のようなものを感じ取る、被写体に体の一部が反応するなど、感知する触覚のようなものが発達してくると、受け取るものが生命力を帯び、豊かで広がりを持ち始める。静の中から動が溢れ出し、ストーリーが語られる。

これを多次元的なコミュニケーションと呼ぶとすると、私たちはその方向へ向かっているのではないだろうかと、最近思うのである。

言い換えれば、すべてのものは波動からなっており、波動は情報であるため、受け取る側は感覚が鋭くなってくるに従って、今までキャッチできなかった情報をキャッチするようになってくるということなのだろう。

また、発信する・作る側も、感性や直感が鋭くなるにつれ、緻密にプログラムするかのように、ある空間に様々な情報を多重的に込めることもできるようになるのだろう。やがて、それは意識的にするのではなく、肌の一部のようにごく自然で当たり前のものになっていくのではないだろうか。

なにやら小難しい話をしてしまったが、12年前に目を閉じていたときに突然目の前に現われた鮮やかなビジョンをきちんと絵にしてみたいという思いに駆られ、今日忠実にそれを描いてみた。

広大な宇宙の中に突然人間の手が現われ、その手の中には金色の玉があった。これはとてもはっきりした映像だったため、それが現われたときはビックリしたが、黄金の玉は玉ではなく、地球のような惑星という感じだった。

それから今日までの12年の間、玉は金色ではなく地球として描かれているが、同じコンセプトの絵を私は何度か目にしている。あるときはヒーラーが書いた本のカバーに、あるときはレイキ・プラクティショナーのホームページに、そして最も最近では、来月東京で開かれるタッチドローイングワークショップの主催者が過去にタッチドローイングで描いた絵に、それぞれ描かれていた。

そのたびに、私は目に見えないクモの糸のようなものを感じてきた。それがどのような目的で何を紡いでいるのかは、まだわからない。ただ、それは巨大なクモの巣になるもので、魂のネットワークのようなものかもしれないと感じるのである。

感じるままに絵を描くことを始めてから、感覚的なものは目に見える明らかなものよりも、ずっと真実に近いのではないかと思うようになった。そうなると、見えるものの向こうにある世界にこそ、計り知れない創造性とともに豊かさがあるのではないかと感じずにはいられない。

このビジョンは異次元からのコミュニケーションのようなもので、言ってみれば、宇宙からソナーが打たれたようなものだろうか。キャッチしてずっとそのままにしてあったが、今日、夜の闇に向けてここから返してみようと思う。

どの方向へ向かっていくのだろうか。何が起こるだろうか。

耳を澄ませていよう。


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