2012年2月28日

米領ヴァージン諸島の旅(2)- セントトーマスという島

今回旅した島:南北アメリカ大陸に挟まれた西インド諸島カリブ海域に位置する常夏の島、米領ヴァージン諸島セントトーマス島およびセントジョン島



(グリーンで囲った中のピンクでハイライトしたのが米領ヴァージン諸島、そのうちのセントトーマス島とセントジョン島を赤で囲った)


西インド諸島には、南アメリカプレートカリブプレートの接する沈み込み帯の影響により形成された7,000(そう、700ではなく7,000)以上もの島やサンゴ礁があり、これらがカーブを描くように弧状に連なっており、その多くは無人島である。

フロリダ州マイアミから飛行機で約2時間半、セントトーマス島にやって来た。ここが義母が生まれ、幼少時代を過ごした島。義母は、その後アメリカ本土に移住した。移住後、故郷に帰ったのはほんの数回ということだ。島の暮らしは不自由で、ここに自分の未来はないと思ったから島を出たという。

セントトーマス島は、面積約83km²で宮古島の約半分と非常に小さく、急勾配の坂だらけである。人口はおよそ52,000人で、そのうちのほぼ70%がアフリカ系である。

アメリカ西海岸の人たちがバケーションでハワイに行くように、東海岸の人たちは米領ヴァージン諸島に行く。
7~8階建てのビルが海上を移動してきたような豪華客船が毎日数隻入港し、そこから何千人という乗客が一斉に降りてきて街の中心部に押し寄せ、レストランや免税店、観光スポットは客で膨れ上がる。それが、午後5時近くになると一斉に波が引くように静まり返る。乗船の時間である。出航して次の島へと向かうのだ。

そういったクルーズ客とは全く別行動の夫と私はレンタカーを借りて、予約しておいた長期滞在型のコンドへ向かった。これからこの島に5泊するのである。街の中心を離れるに従って道は細くなり、急勾配で気分が悪くなるほどのくねくね道が続く。

私たちを待っていたコンドは、こんなにステキでいいの?と思うほど、静かで景色のよい所にあった。それは、頂上の部分が平らで両側が急な崖になっているメサのような地形のてっぺんに位置し、ポルトガルから吹いてくるという貿易風が、ハリケーンの時以外は閉めることのない窓を吹き抜ける場所。

入り口の部分


敷地内にナツメヤシの木がある。まだ食べられないのが残念。

その窓から見える湾の向こうは大西洋で、コンドの反対側は、道を挟んでカリブ海が広がっている。




手前の島々はアメリカ領で、右奥に見える大きい島はトルトラ島。それほど遠くないが、そこはイギリス領ヴァージン諸島になり、入るにはパスポートが必要となる。連なる島々は外部からの力で占領され支配され、政治と権力という人間の都合により分断されていった。カリブ海域の島々にはそんな背景がある。

セントトーマス島も例外ではない。この島にはかつて複数の先住民族が居住していたが、コロンブスに発見され、17世紀後半から、第一次世界大戦でドイツ軍による侵略からパナマ運河を護るため1917年にアメリカ合衆国が島を買い取るまで、デンマークの統治下となった。

ただ、セントトーマス島が周辺の島と異なる点は、周辺の島ではデンマークを始め、イギリス、フランス、オランダ、スペインの植民地として、アフリカからの奴隷を使ったサトウキビのプランテーションが行われたが、デンマークは、18世紀初頭のスペイン継承戦争中でも唯一中立的な立場をとったため、セントトーマス島は戦争に巻き込まれることなく、奴隷貿易を含め西インド諸島の交易の中心地として栄えた。

そのような背景があり、この島は人種的にはアフリカ系の人々が大多数を占め、複数の言語が飛び交い、街のあちらこちらに植民地時代の建造物が残り、港には毎日クルーズ船がずらりと並び、独特な雰囲気に包まれているのである。

島の中心部


郵便局



ショッピング街の通路。ハリケーンから守るため、
ほとんどの窓の外側に鉄のシャッターが付いている。


これからここで6日間を過ごす。何が待っているのか。

私たちは、コンドのドアの鍵を開け、中へと入っていった。

<続く>

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