2011年3月22日

笑いの力

一昨日、マイミクで霊気の先生でもある方のお宅に、11人ほど霊気仲間が集まった。みんなでホ・オポノポノを織り込んだチャクラ瞑想をし、霊気をした後に、仲間の一人の送別会を兼ねてカラオケになった。

歌うこと、声を出すことは、それだけで癒やしになるが、一昨日はそれをはるかに超えてしまった。山本リンダの替え歌を作ってウララ~、ウララと歌う人、桑田佳祐をまねて歌う人、それがあまりにもひょうきんでユーモアに溢れているため、みんなお腹が痛くなるほど笑った。別に人を笑わせるためにやったのではないと思うが、ただただ笑えてくるのである。

日本で苦しんでいる人がたくさんいるこんなときに、不謹慎な・・・と思うだろう。頭の中はそう思っていた。しかし、ハートは笑いを優しく見守っている。

笑いは生きている証のひとつ。

「逆も真なり」という言葉が浮かんだ。

全く正反対のことも、等しく真実である。

被災地の惨状、被災者の苦しみ、悲しみ、不安、それらすべてを共に感じることで胸が苦しくなったり胃が痛くなったりする一方、腹がよじれるほどの笑いも出てくるのである。この体から。

すべてが等しく真実。

歌う人、それを聞いて笑い転げる人、みんなとてもいとおしい。みんな今ここに生きている。様々な思いを胸にここに集い、一緒にいるからこそ、こんな風に笑うことができた。

被災地でのインタビューでマイクを向けられた男性のことが、ふと頭に浮かんだ。その男性は涙をこぼし、込み上げる思いが喉につまってしばらく言葉にならない様子だったが、やっとのことで振り絞ったように言った。

「また笑って酒でも飲めるようになりたい」

私は胸がカーッと熱くなり、涙が込み上げた。

絶望、苦しみ、哀しみ、無力感、怒り、恨み、不安、恐怖、忍耐、喜び、感謝、勇気、情熱・・そして笑い・・・どれもすべて等しくここにある。そう感じた。

人間であることがいとおしい。

生きていることは全体であること。様々な状況の中において、人や物事との関わり合いの中で体験し味わう。様々なことを分かち合ってゆく。そう感じた。


今日、友人からとても嬉しい知らせがあった。脳梗塞で緊急手術となり、術後何日もとても危険な状態をさまよった妹さんが、昨日、横で看病していたお父様のオナラに笑ったということである。

私も、13歳の時に盲腸の手術ミスで卵巣に傷をつけられ、2週間ほど入院したことがある。点滴を受ける日が続く中、体から力が抜け落ち、呼吸をすることも辛くて辛くて、ただ立っているだけの人を見ても、それができることだけでも、ものすごく羨ましかったのを覚えている。

そんな辛い日が何日か続いたある日、ずっとそばにいて看病してくれていた母が、手鏡で自分の顔を見て、

「あれっ!ホラこれ見て、何日も毛 抜いてなかったで、こんなになってしまった」

と言って、私の顔の真上までグイッと体を乗り出して見せてきた。どアップの母の鼻の下が・・・毛抜きを使っていると次から生えてくる毛は太くなるが、3ミリくらいの黒くて太いのがそこらじゅうから勢いよく出ているさまに、縫った後まだくっ付いていないお腹が裂けそうに痛いのを我慢しながら、笑った(結局、再度縫い直すことになったが)。

生きる力が大逆転して、そこから元気になった。

被災者の苦しみや哀しみはどれほど深いことだろう。どれほど多くの人が同じ気持ちでいることだろう。だからこそ、笑える人は笑ってよいと思う。

笑いの力を振りまいて、生きていることの喜びから、勇気や情熱を呼び戻すことも等しく大切ではないだろうか。

逆もまた真なり

私のハートはどうもそれを言いたがっているようである。

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