2009年3月24日

豊かな島プエルトリコ - 第5日目

米国国立公園で唯一の熱帯雨林「エルユンケ国立公園」に到着した。大西洋とカリブ海を渡る貿易風がエルユンケの山々にぶつかって雲を形成し、年間300センチという途方もない量の雨を降らせる。昨夜ホテルから見えた山の上には厚い雲がかかっていたが、幸い今日は晴れている。「絶対必要だからね」と夫に言われてシアトルから持ってきた雨合羽は、どうやらいらないようだ。

数あるハイキングコースの中から、往復3キロの「Big Tree」と呼ばれるコースを選んだ。歩き出すとすぐに、ほっそりとした背の高い木と出会った。

下向きに伸びている、これはツル? まさに自然のロープ


迫力満点



ツタがからまり、ゴツゴツしたこの古い木にそっと寄り添ってみた。触れた瞬間、母親の懐に抱かれるような優しさと温かさに包まれた。あるがままの私を、そのまま包み込んでくれる優しさ。それを母性の持つ受容のエネルギーと呼ぶのだろうか。体がすうっと溶けて、意識が木と一体になったとき、そこにはとても懐かしい感覚があった。


コウモリが食べた実の種が落ちて、そこから芽が出る。不運にも、種は石の上に落ちたようだ。それでも、この木は不平を言うこともなく、逆境にめげることもなく、今を一生懸命に生きている。しっかりと根を張って。

生きる力とは、こんなにも強いものなのか。与えられた命を力強く生きるその姿は、なんと美しいのだろう。

その力は私たち一人一人の中にもある。そのことを、今こそ思い出して欲しい。木はそう呼びかけているように感じられた。



さらに奥へと歩いていくと、この山の主のような大木が現れた。樹齢300年を超えているという。



チョウの一生は、人間が生きる時間からするとほんの瞬く間のこと。その人間の一生は、大木からすると、チョウのようにはかない。圧倒的な強さと優しさでそびえ立つ、この大きな木の下に立って思う。人間なんて、ちっぽけな存在だなあ。木のくぼみにすっぽりと体が入ってしまう。肉体の小ささ、弱さをひしひしと感じる。

何百年という長い長い時間の中で何度も季節が巡り、ここにこうやって根を張って、生まれては消える周りの様々な生命の営みを見守ってきたこの大木は、たくさんのことを知っている。人類が歩んできた歴史の一部も、一年ごとにひとつ増えるこの木の年輪に刻み込まれているのだろうか。

肉体はちっぽけで限りがあっても、その肉体を超えた魂は、この木のようにたくさんのことを知っている。太古の昔からいのちの年輪を重ねてきた魂。それが私たちの本来の姿。

魂は、これからも宇宙の営みの中で、ひとつひとつ「成長」と呼ばれる年輪を重ねてゆく。


コースの最終地点にある滝


エルユンケから臨む大西洋



その後、山を降りてルキーヨビーチへ到着した頃には、夕方近くになっていた。ここは人気の海水浴場だが、この時間には人気もまばらになっていた。



ここで、よく冷えたココナツウォーターを飲んだ。ほんのり甘くて美味しい。


うろこ雲と夕日が織り成す空のアート。



空港でレンタカーを返した後、オールドサンファンに入った。ホテルは前もって手配していなかったが、今夜は「エル・コンベント」という由緒あるホテルに泊まることになった。



洗練された古い街並みが美しいオールドサンファン。ここに店やレストラン、美術館、娯楽施設、ホテルなどが集中し、プエルトリコ最大の観光地となっている。



エル・コンベントは、もともと修道院だったのを、そのまま改築してホテルにしたそうだ。そのアイデアが単純に面白いと思って夫が選んだこのホテル。一泊250ドル(食事なし)というのは決して安くない。しかし、部屋に入ってびっくり。

部屋のデザインや設備は細かい配慮があり、バスルームも素敵なのだが、ベッドは当然大きいサイズのツインだと思っていたところ、すぐ転げ落ちてしまうほど小さかった。シンプルなベッドと、フェンスのようなとがった鉄のヘッドを見た瞬間、修道院の重苦しさが襲ってきた。


この旅の最後が修道院のホテルになるとは・・・。プエルトリコ有数の高級ホテルなので、夫はその高級感を味わって楽しく過ごせると考えてここに決めたのだが、私にとってはそれ以上の意味があったのだった。

<つづく>

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