2009年2月18日

荒御魂の力(3)― 月讀宮

伊勢外宮から内宮へとつながる道は主に2つあるが、道の両側を石灯ろうが立ち並ぶ御幸(みゆき)道路を4キロほど内宮へ向かって歩くと、内宮の別宮である月讀宮(つきよみのみや)に到着する。近鉄五十鈴川駅から徒歩数分のこんもりとした小さな杜の中にあるこの神社は、通常人影がなくしっとりとしていて趣があり、私の大好きな神社のひとつである。

月讀宮の祭神は、天照大御神の弟神にあたる月讀尊(つきよみのみこと)である。神社の外側からは地味に見えるが、実はここには社殿4社、東から順に月讀荒御魂宮(祭神: つきよみのみことのあらみたま)、月讀宮(祭神: つきよみのみこと)、伊佐奈岐宮(祭神: いざなぎのみこと)、伊佐奈弥宮(祭神: いざなみのみこと)が並んでおり、まるで神話の世界に滑り込んだようである。といっても、お恥ずかしい話だが、私は、いざなぎといざなみは天照大御神と月讀尊の親神で、混沌をかき混ぜて国生みを行ったという程度しか知らない。

この神社を訪れるのはこれが3回目だった。一番最初は、母に「月の神様が祀ってある神社があるから行ってみると面白いかも」と言われて、五十鈴川駅まで電車で来た。ほとんど同じに見える4社の社殿を前にして、何が何だか分からず緊張してしまい、こういうのはやっぱり端からと考えて、向かって右(月讀荒御魂宮)から順にお参りした。形は同じでも、4社それぞれから異なるエネルギーが流れてきて驚いた。月讀宮と伊佐奈岐宮のエネルギーは、他の2社よりも圧倒的に強く感じた。

2回目は、自分の足で外宮から歩いて訪れた。2回目になると少し落ち着いて、並んでいる4社をまず離れた所から見てみた。すると、右から2番目の月讀宮が中心のように見えるのでここからお参りし、次にその荒御魂宮、そして伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順にお参りした。

後で、それが正しい参拝順序であることがわかった。端から順にというのは、いかにも左脳的、論理的で、人間が作ったルールを基準にした考え方である。それに従った私って、典型的な論理思考型人間だなあと思った。私の後に来た参拝客も初めてなのか、戸惑っている様子で、やはり端から順にお参りしていた。そうか、戸惑うのはみんな同じ・・・。

「荒御魂って何だろう、なぜ月讀尊と別になっているのだろう」と考えるようになったのはそのときから。字を見ると「魂」とあるが、「荒い」とは? 人影のないその場所には、何の説明も書いてない。そのときは気になったが、荒御魂から特に何も伝わって来なかったので、この疑問はそのまま記憶の片隅で眠ってしまった。

そして今回の参拝が3回目になる。今回はカップルや友達同士で訪れる参拝者が何組かいて、やはり外宮で感じたように、伊勢を訪れる人の数は増えているようだ。その人たちのお参りが済むまで待って一人になるのを見計らい、月讀宮から参拝を始めた。

では次に荒御魂へと思って歩き出したとき、宮内の空気が変わった。じゃりじゃりと玉砂利を引きずる音とともに、後ろからどやどやと団体が入ってきた。○×寺と書いた紫色の旗を掲げたガイドさんが、50代~80代の人を15人ほど連れてやってきて、たちまち4社の前はその人たちに占領されてしまった。やはり、スピリチュアルブームで、こんな所にまで団体が入るようになったのか。圧倒された私は月讀宮の前にある大木の所へ退いて、その団体が終わるまで待つことにした。

「は~い皆さん!ここには、月讀尊とそのお父さん、お母さんが眠ってますよー。まずお父さんとお母さんにご挨拶して、それから息子ね!」

「いい加減なことを言っているな、このガイドさん。全然順番違うじゃない」私は心の中で思った。

おしゃべりに忙しくて、そんな説明も耳に入っていない人もいるようで、写真を撮る人、祈る人、4社の間を右往左往する人など、動きが混乱していた。まあ、団体で行動すると、こんな風になってしまうだろう。

(母と娘)
「ナンマンダー、ナンマンダー」
「お母ちゃん、ここは神社でお寺じゃないから『ナンマンダー』は通じないよ」
「ほ~そうか」

(友達同士)
「サキちゃん、あんた何お願いした?」
「ん?まあね~」
「あたしはね、ボケませんようにってね」

私は木の前で、ちょっとイライラしながらその様子を観察していた。今まで静かだったのに、人が入り乱れて一挙に騒がしくなってしまった。すると、それに輪をかけたように、カラスが大騒ぎを始めた。

以前は全く気づかなかったが、月讀宮の社殿の後ろに大きな木があり、そこに巣でもあるのだろうか、カラスが10羽くらいいて、バタバタしながらガーガーと鳴き騒いでいる。その動きといい鳴き方といい、尋常ではなかった。ちょうど私が立っている真正面なので、その様子がよくわかる。互いに何かを警告し合っているのだろうか。全く鳴きやまない。参拝者とはかなり離れているので、参拝者に驚いて鳴いているとは思えないが。

おまけに、上空の離れた所でヘリコプターがパタパタしている音まで聞こえてきた。通過するのではなく、一箇所で旋回している感じである。

急にこんな風になってしまったが、この騒がしさは一体何だろう。狂ったように鳴き出したカラスに、遠くで旋回するヘリコプター。異様なものを感じた。

10分近く待っていただろうか、ものすごく長く感じられた。団体が去った後もカラスは鳴き続けたが、少し落ち着いてきたようだ。私は荒御魂の前に進んだ。

「荒御魂って何だろう」昨年そこでふと思った疑問が蘇った。荒い魂というのは、どういう状態の魂なんだろう。

とそのとき、なぜだかわからないが、これからは様々なレベルで荒御魂が顕著になるという考えが頭の中に浮かんだ。

参道へと引き返す途中、手水舎の近くに神職が駐在する建物があり、そこでお札やお守りを売っている。私は今までそのような場所に立ち寄ることはなく、お札というものを買ったこともなかった。しかし突然、今回はお札を買わなければいけない、と自分の中のもう一人の自分が強い調子で言った。それに対し、お札など買ってしまったら、いい加減な扱いはできないから、面倒くさくて困るなあと怠け心がつぶやいた。

近づいていくと、中から神職さんが挨拶をしてくれた。

「どうです、ここもしっとりしていていいでしょう」

にこやかな神職さん。雑誌を見てやってきた若い女の子と間違えたのだろうか。私はその口調に少し驚いたが、若く見られて悪い気はしない。

「お札をいただきたのですが」

「はいお札ですか。月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の4つありますが、どれがいいですか」

「えっ?」

頭の中が真っ白になった。お札は「月讀宮神社」として1つだと思っていたからだ。「4つまとめて1つになったのがあったらいいのに」私は、神職さんの後ろに並んでいる4種類のお札をうらめしそうに見た。

ブロックされたように思考が止まってしまった。でも、馬鹿のように突っ立っているわけにもいかない。

「荒御魂宮をください」と勝手に口から飛び出した。

「ええ~荒御魂? ここは月讀宮が中心じゃない、一番地味な荒御魂?」と心の中で慌てる自分に「そう、それでいい」と返すもう一人の自分。

「はい、荒御魂ですね~」神職さんが後ろにあったお札を手に取る。

そのとき、誰かが私を見ている強い視線を感じた。そちらを見ると、斜め左前方5メートルほど離れた所で、私の目線と同じ高さに大きなカラスが一羽とまっていて、こちらをじっと見ている。

それは家の周りにいてゴミを狙っているような、擦れてふてぶてしいあのタイプのカラスとは違い、体がとても大きくて青黒く光っており、くちばしがスラッと長くて気品がある。全体が光り輝いて見え、神々しいほどに威厳があり、普通のカラスとは雰囲気が全く違っている。

そのカラスがこちらを向いて、じっと視線をそらさず私を見つめていた。いつからそうやって見ていたのだろうか。

私は見つめ返して、カラスと互いに見つめ合った。ゾクッとするような感覚が全身を走った。カラスなのに、人か何かに見られているように感じる。

まるで、私がお札を買うのを見届けるためにそこにいたかのように、私が神職さんからお札を受け取って立ち去ろうとしたときに、人がゆっくり腰を上げるような格好でカラスは体を起こして羽を広げ、あの月讀宮の社殿の後ろにあった木の方向へ飛んでいった。

衝撃的な感覚は、鳥肌という形で反応していた。仲間から離れて単独でそこにいて、体をこちらに向けて、真正面から身動き一つせずじっと私の様子を見ていたカラス。

神社を出るときに、ふと思った。外宮の多賀宮を地蔵石が護っているように、月讀宮の真後ろの木にたくさんいたカラスは、月讀宮の門番のようなものなのだろうか。夜の世界を支配する月と夜の色であるカラス。ひょっとして、私を見ていたあのカラスは月読の神の使い?

カラス、月、荒御魂、今回の騒々しい状況、そのタイミング。わけがわからないけれども、どれも気になることであった。

「目に見えないことが本当で、それが形になって現れたことが現実界で起こっていることです」

外宮で出会った女性の口から出たこの言葉と月讀宮神社で起こったことは、どれも注意していなければ見過ごされることかもしれないが、これこそが「目に見えないこと」からのメッセージであったと気づくのは、それから2ヶ月ほど経ってからのことであった。

ひとつひとつの出来事はパズルのコマのよう。心のままに動き、流れに任せるとき、豊かな色を帯びたコマが次々に現われる。それがいつしか繋がってひとつの形となったとき、人は大いなる計画ともいうべき力(方向性)に驚嘆せずにはいられなくなる。確かに、大いなる力(存在)が働いていると感ぜずにはいられなくなる。

しかし、そのように繋がって出来上がった形は、さらに大きな形の一部に過ぎないことに、やがて人は気づく。気づきは、そのようにどんどん次の段階へと進んでいくのである。

荒御魂のパズルは始まったばかり。

月讀宮を後にし、その日最後の参拝先である内宮へ向かった。

<つづく>

0 件のコメント: