2009年1月21日

荒御魂の力(1)― シールの意図するものは?



先日書いた「荒御魂からの忠告」の日記で、「cleanliness(清潔に)」と書かれたシールが、私の机に積み重なっていた紙切れに何かの拍子でくっ付いていた、とお話して、「それって(きれにしろよって意味で)だんなさんがくっ付けたの?」とのコメントをいただいたが、あまりにも面白いので写真に撮った。

このシールは、何年か前に、「水の結晶」で有名な江本勝さんのシアトル講演があった際に、おまけでもらったもの。ずっと机の上の奥の方に文房具と一緒に置いてあったが、なぜか「cleanliness」だけがはがれていた。これだけが台紙からノミのようにピョ~ンとジャンプして飛び出し、少し離れた所にあった紙に着地したかのようだった。元の位置に戻したが、他のシールは買ったときのままで、爪ではがさなければ取れないほどである。

もちろん夫はシールの存在さえ知らないのだから、それじゃあどうやって?と考えると気味が悪くなる。まあ、この程度の不思議は珍しくないので、ただ「おまえ、ええ加減に掃除せんか!」という天からのお叱りのメッセージくらいに思って、「はいはい、ごめんなさい。ついに言われてしまいましたね」程度の軽い気持ちで掃除を始めた。

しかし、この掃除の「程度」に問題があったのだ。このシールが意味する掃除とは、汚れを取って整頓するだけのことではなかった。そのことに気づくのに2週間かかってしまった。

以前、日記に「荒御魂は創造するための破壊の力であると私は理解している」と書いたが、その後で、その荒御魂のことを自分は本当はどの程度理解しているのか、また、それは日常レベルではどのような形で顕れるのだろうかと、ふと思った。

それを荒御魂は聞いていたのか、その矢先に起こった一連の出来事は、まるで荒御魂が「そうか知りたいか、それでは見せてやろう」とおっしゃったように、次々に意外なことが起こり始めた。しかし、結果的には、本来の荒御魂の力をずいぶん加減して、優しい力で教えてくださったのであろうと思う。

荒御魂のことを最初はもっと早く書くつもりだったが、結局は何事にもタイミングがあるのだろう。そのことを象徴するかのように、書く体制に入る寸前の絶妙なタイミングで、母が伊勢神宮を扱った番組で知った荒神のことで電話をしてきて、作業は中断された。そのときに、物事には手順があるのだなあと気づかされ、日記の結びで「まず掃除を済ませてから書きます」とお話した。

実は、あのとき一つ書いていないことがあった。それは、そのとき起こっていなかったから、書く必要はないと思ったからだ。

母は言った。「荒神のことを最近本にした人がテレビに出てゆっとったけど、書いとる途中にコンピュータが何回も壊れて、結局3台取り替えることになったんやって。そやで、あんたも何書くか知らんけど、書くんやったらその前に部屋を塩で清めるとか、何かちゃんとせんとあかんよ。別に脅すわけやないけど」

母は私が何を書こうとしているかなど、知る由もない。しかし、電話をかけてくるタイミングといい、その話題といい、恐ろしいくらい共時していたので、これは荒御魂からの忠告と捉えた。

新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している力が、荒御魂の力。新しく創造するためには、いったん壊さなければならない。

私は今はブログに書く程度なので、荒御魂はあくまでも手加減してくださったのだろう。

しかし、それはやっぱり嵐のような力だった。

<続く>

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