2008年8月22日

未来が見える山



標高3954mのマウント・ロブソンは、カナディアンロッキーの最高峰。そそり立つ荒々しい岩肌が特徴のこの山は、ダイナミックで男性的な様相を呈している。

最初にこの山に出会ったのは、今から14年前の1994年の夏のこと。日本から両親が遊びに来たため、夫と4人でカナディアンロッキーの旅をした。カナディアンロッキーと言えば、バンフとジャスパーが有名であるが、ジャスパーよりもさらに北に車で1時間くらい走ったところで、いきなりこの山が視界に飛び込んでくる。

そのときのインパクトはあまりにも強く、今でもはっきり覚えている。私たち4人の目はこの山に釘付けになり、車の中が静まり返った。目も心も調節しないと入りきらないほどのスケールの大きさに、感動を通り越して、ただただ見上げるのみ。母は見た瞬間、鳥肌が立ったと後で教えてくれた。

マウント・ロブソンは州立公園なので、バンフやジャスパーのような街はなく、自然のみがあるという感じである。私たちは、そこから少し離れたスイス人が経営するレストラン付きのシャレー(山小屋)に泊まったが、そこで興味本位にバッファローの肉を食べた夜に体験した恐ろしい夢に、私はここは圧倒的に自然が支配している場所であるということを思い知らされた。先住民はまず創造主への感謝の儀式をして、それから食す。その感覚がわかると同時に、ここがいかにパワフルで、他とは違う場所であるかということに気づかされた。

マウント・ロブソンとの第1回目の出会いは、そのように特別な記憶を残した。

2回目に訪れたのは、それから6年後の2000年の夏。今度は夫と2人で来た。最初に来たときと同じシャレーに泊まり、州立公園の中で3時間ほどのハイキングをした。

そこはかなり波動の高い場所だった。頭のてっぺんがツンツン突き刺されるように痛く、歩いても歩いても疲れない。ハイキングをした日の夜は、普通なら心地よい疲労感に包まれるものだが、11時半近くまでソファに座って読書をしていても、一向に眠気が来ない。これからもう一度ハイキングをしても大丈夫なほど元気である。夫も、やはり同じように頭がすっきりはっきりしているようだった。

しかし、翌日の活動のことを考えると、眠くなくても寝なければならないと思い、床に就いた。隣に横たわった夫からはすぐに寝息が聞こえてきたが、私は何度も寝返りを打った。あせりさえ感じる中、1時、2時と時間だけが過ぎていく。

やっと眠れたと思ってもごく浅い眠りで、見る夢が異常なほどはっきりしていた。その夜はトイレ休憩(?)を挟んでつながった2つの夢を見たが、その内容は今でも最初から最後まで完全に覚えているほど強烈であった。

未来の情報を含んだ夢とでもいうべきか。

それは、地球がもうこれ以上住めない極限状態に来ており、人々がある場所に集まって新しいときへ移行する瞬間を待っている場面から始まる。その瞬間を境に、周りにいる人々の顔かたち、性別、私との関係が変わっていた。

ここで目が覚め、私は起きてトイレに行った。

その後、見た夢は先ほどの続きであった。アジア系の男性(小泉前首相のような顔!)として新しい肉体を持った私が、今の自分として新しい世界を見ていた。

ここでは人々は新しい物のやり方をしていた。「自然志向」、それがキーワードのようである。

具体的に3つの場面を見た。それはどれも瞬間的な場面だったが、十分な情報が入ってきた。

1つめの場面は車。一台の車を見ている。この車から有害な排気ガスは全く出ていない。この新しい世界では、空気を汚す車はなかった。

2つめの場面は食品の包装方法。プラスチック、ビニール類は使われていない。カウンターの向こうにいた店員は、量り売りのものであろうか、それを昔懐かしい黄緑色っぽい薄い紙で包んでいた。

3つめの場面は、人々の健康維持の方法のひとつ。この世界では、リラックスすることが健康な状態を保つ上で極めて重要なことを誰もが知っている。屋内のプールのような場所で、人々は泳ぐのではなく、水に浸かったり浮かんだりしている。それは、子供から大人まで、いつでも手軽に利用できる公共施設のようである。水は冷水ではなくやや暖かく、体によい成分を含んでいるようで、少し色が付いていた。無重力状態になって筋肉をリラックスさせるのであろうか。とにかく、そこは日常生活に密着しており、人々が頻繁に利用する場所のようであった。

2000年に見たこの夢の場面。その頃は、私のような何も知らないごく普通の人間にとっては、どれも現実味を帯びない内容であった。

しかし、8年後の今、車の代替燃料への取り組みがさかんになり、対策は具体化してきている。さらに研究開発が進み、社会の制度が改革され、空気を全く汚さない車を手軽に利用できるときが来ることは不可能ではない。

また、シアトル市では、来年1月からスーパーなどの店のレジ袋を有料化することになり、客に買い物袋の持参を奨励している。すでに袋を持参する人は増えているが、これはほんの第一歩。全分野において作る側、売る側、買う側のそれぞれの立場から、生じる結果に対してもっと意識を高めれば、2つめの場面を実現することも夢ではないだろう。

3つめの場面については、私には知識がないので何のことなのかわからない。しかし、リラックスの状態がもたらす恩恵は、今のところ過小評価されていることはわかる。

夢で見た未来の可能性。こうなるとかならないとか、そんなことはどうでもよい。ただ、人間の活動が、良くも悪しくも地球の状態に影響を与えることは事実である。

私たちは資源を使い放題にして、地球を荒らすだけの存在になるのか。それとも、地球の守り手として、すべての生き物にとってより良い場所に保つことのできる存在になるのか。私たちに与えられている智慧と創造力を、何にどのように使うのか。それは私たちが決めること、しかも責任をもって決めること。

人を寄せ付けないような荒々しい岩肌を持つ男性的なこの山の茶色と白のツートンカラーは、意外にも、生クリームがかかった甘いチョコレートケーキを思わせる。地殻変動で下から突き上げられ形成された茶色い岩に、空から降ってきた真っ白な雪が留まる。男性性と女性性、天と地が重なる場所。それぞれ相異なる要素が共存しているこの山は、天界からのエネルギーの中継となっている。

その山で見た夢は、私に希望を与えてくれた。私たちは意識をつなぎ合わせ、力を合わせ、より良い環境を作り出すことができる。そのチャンスを与えてもらっている。

未来が見える山。その山に一人一人がなれる。地に足をしっかりつけ、そびえ立つ山のごとくまっすぐに背筋を伸ばして天を仰ぐとき、何かが見えてくる。周りのすべてに意識を向け、現実的に冷静な目で見つめれば、足元から今この一歩をどう踏み出すかが見えてくる。

未来が見える山に訪れずとも、未来が見える山のような存在になるときに、人は今ここに生きていることの意味をしっかりと捉え、未来に限りない責任を持って行動できるようになる。


<写真: マウント・ロブソン>

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