2008年7月9日

地縛霊は友達?!(4)

実家に到着すると、もう10時半を過ぎていた。私は、母が用意しておいてくれた食事を軽くとってから、お風呂に入った。湯船に浸かりながら周りの空気を読み取るようにじっと様子をうかがってみたが、嫌な感じとか変な感じはしない。もう来ているのだろうか。

夜も更けて、私は長旅の後で疲れていた。何も考えず、ただゆっくりと眠りたかった。が、油断をして霊に生気を吸われて、熱を出すようなことになって欲しくはなかった。それは、ただ私自身がそれを許すか許さないかにかかっていた。

「絶対に先回のようなことにはならない!」境界をはっきりさせて、意識の上でも自分をクリアにし、凛とした態度でそう断言すると、疲れた体の奥から強いエネルギーが湧き上がってきた。デブラさんが言ったことを思い浮かべ、目には見えないが霊がそこに来ていることを前提に、私は心の中で話しかけた。

「霊さん、そこにいますか。私はここへ帰ってきました。今回は絶対に病気にならないし、あなたにエネルギーを抜き取られるようなことにはならない。だから、どうか私のエネルギーを取らないで下さい。その代わりに、あなたの好きな布を持ってきました。何かメッセージがあったら夢で教えて下さい」

それは届いているのかどうかわからない。ただ静まり返った風呂場の中で、湯船の湯気が揺らいでいるだけである。しかし、この時も、暗い感じとか嫌な感じはまったくなかった。

私は寝る前に、念を押すがごとく布団の中でもう一度話しかけた。そして、好きな場所は私が最初に思った神社でよいのか(結局、それ以外何も思い浮かばなかったので)、他にメッセージはあるのかなどを夢で教えてもらうことを望んだ。どんな霊なのだろうか、と考えるとやはり恐い。霊というとじめじめして、どうしても悪霊的なイメージになってしまう。

「私が怖がらないような方法で教えて下さい、お願いします」
臆病な自分は、つかみどころのない闇に向かって心の中でそう頼んだ。

そんな私の心の中は、霊にとってはガラス張り。小学校で「ちょっかいを出してくる子」が、好きな相手に自分が恐れられているとしたらどんな気分だろう。怒るだろうか、それとも悲しく思うだろうか。

その夜、夢を見た。私の友達(実際には知らない人)が私に話をするという形で、霊が答えてくれた。それによると、この霊は何千年もの古い魂で、長い間、人のエネルギーを吸い取って生きている感覚になることを繰り返してきた。私のときは、左肩のあたりから抜き取っていたということである。

日本に来る前に読んだ本「People Who Don’t Know They’re Dead(死んだことを知らない人々)」で覚えた「あなたは死んだことを知っていますか」という質問をしてみたが、直接的な答えは返って来ず、その代わりに、少し間をおいて「どうしてよいかわからない」という、戸惑っているというか、しょげた感じが伝わってきた。

私は、心の中でこの霊が光の方へ進んで行くことを願った。嫌な感じや怖い感じ、冷たい感じはまったくなく、恐れるどころか、逆にこの霊に温かさと優しさを投げかける自分がいた。夢を見ているときの自分は、起きているときの自分よりも大らかである。

結局、光に送ることはできず、まだ好きな場所のことは答えてもらっていなかった。ところが、そのことを聞こうとしたときに、突然夢の場面が薄らぎ始めた。「ああ~待って!」まるで夢を乗せた乗り物が、霧の中に消えて行くみたいだ。しがみつこうとあがいてみても、すうっと目が覚めてしまえば終わりである。すでに朝になっていた。

まだ夢の余韻でボーッとしている頭の中には、場所のことではなく別のことがあった。なぜか、赤い布だけでは足りないような気がしたのだ。

「他に欲しい物はないか教えてね」

夢にもう一度戻るかのように心の中でつぶやくと、待ってましたとばかりに「赤い花」と来た。ひょっとしたら、私がそれを聞くように相手が仕向けたのかもしれない。

そのリクエストに刺激されて、頭が忙しく動き出した。赤い花、赤い花・・・。概して頭というものは、まず自分が親しみ慣れている領域から物を選ぼうとする。

「カーネーションかな?」

いや、どうも違うようである・・・わからない。そのまま頭が静止状態になると、今度は急に眠気が戻ってきてウトウトし始めた(これも相手が仕向けたか?)。すると次の瞬間、眉間の前にパッと赤いつぼみをつけた椿のような花と枝が現われた。またもや、音にならない鈴のような音が聞こえた。

「ああっ椿だ!」

ここからまた頭が動き出す。「椿なら納得がいく。カーネーションは洋花で今風だけど、椿は古くから日本で親しまれている花。古い魂が好む花としてぴったり!」
得てして頭は理屈が好きだ。

「でも、椿は花屋には売ってないだろうし、どうやって手に入れようか」

また、新しい問題が起きてしまった。う~んとうなって頭を掻き掻き下の居間へ降りていくと、父と母はすでに起きており、父はテーブルで新聞を読んでいた。その父に話しかけようとしたとき、私の視線はそのまま父の後ろの庭に流れ、そこで釘付けになった。

あの赤い花が咲いているではないか!

実家の庭に、それも居間の正面にあの花があった。まるで「これ見てよ、ここにいるじゃない」と言っているように。私は、おもわずニンマリした。

私「お母さん、あのツバキ」
母「ツバキ?ああ、あれは椿と違って山茶花」
私「サザンカ~?椿と思った」
母「椿と山茶花はよう似とるけどな、あれは山茶花」
私「そうか~」

私は、椿と山茶花を区別できるほど花に詳しくはなかった。庭に出てみると、ちょうどいい具合に咲いたものが3つあり、後は固いつぼみだった。でも、これで十分だ。

朝食の時に、父に神社のことを聞いてみた。八幡神社という地元の小さな神社で、私は子供の頃に一度くらいは行ったことがあるが、中の様子はほとんど記憶になかった。父によると、実家からの距離は1キロ弱だということである。デブラさんの言った半マイル(約800メートル)という条件にピッタリだ。

その場所が正しいかどうかはわからなかったが、距離的には当てはまるので、やはりそこへ行くしかなかった。朝食が済むと、山茶花の花を枝から3本切り取り、赤い布と線香を持って、父と母には散歩に行くと言って外へ出た。

その日は12月15日、後で調べると満月の日であった。これ以上ないというほど、きれいに晴れ上がった気持ちの良い日だった。歩きながら、見た夢のことを思い出しても、まったく嫌な気持ちにはならず、逆に暖かさや感謝の気持ちが沸き起こった。この霊は私の言うことを聞いてくれている。そう思うと、親しみさえ感じられた。

さんさんと輝く日の光を浴びて、霊と一緒に八幡神社まで散歩している気分になってきた。気づくと「晴れてよかったね~」と霊に声をかけていた。私の周りを有頂天でグルグル回ってはしゃいでいる様子が浮かぶ。すると、私の心もウキウキし始めたのは不思議である。霊の心と繋がったのだろうか。

さて、八幡神社に到着し、まずは神様にご挨拶をした。手を合わせて「私に力がなく、この魂が光に進みたくても進めないのであれば、神様どうぞお力をお貸しください」とお願いしたところ、頭のてっぺんからサーッとエネルギーが入ってきた。

そして、祈り終わってふと横を見ると、肩越しに私の父の名前が目に飛び込んできた。それは、この神社に寄付した人の名前が書かれた木の札であったが、そこには他に80ほどだろうか、寄付者の札が並んでいた。普通なら、それほどの数の中で特定のものを探すには時間がかかるのに、パッと一目で名前が入ってきたのは偶然ではないと思えた。父の名前を見た瞬間に、私は直感的にこの神社でよかったのだと確信した。

次に、布と花を供える場所である。神社の本殿から少し離れた丘の、正面からは見えない裏側に回って、そこにある大きな木を選んだ。表側に赤い布を置こうものなら、きっと年末大掃除か何かですぐに見つかって、捨てられてしまうだろう。そんなことをされたら、この霊は、おもちゃをとりあげられた子供のように、私のところに泣いて飛んでくるだろう。それはかわいそうだし、私もまた病気になっては困る。

誰もいないひっそりとした神社の木の根元に、布と花を供えた。このときも、ウキウキした気分になり「花きれいだねー」と声をかけていた。まるで、友達に話しかけるように。

その後、一緒に持ってきた線香に火をつけようかと一瞬迷ったが、地面は枯葉で覆われていたため、火事になると困るのでやめた。やめて正解。一般に線香はお寺で上げるもので、神社では不要であることに後から気づいて苦笑した。

神社を出る前に、呼び止められたかのように、境内の入り口付近にある古墳に引き付けられた。それは小さなものであったが、7世紀初めに建造されたと推定される横穴式石室のある遺跡であった。実家の付近には、他にも5世紀~6世紀頃の古墳群がある。今でこそ、山を切り開いて住宅地となってしまったこの地域一体は、その頃は全く異なる様相を呈していたのであろう。

この霊が地縛霊なので、何かこの古墳、神社、もしくはこの土地に深い関係を持った人かもしれないと思った。と同時に、私もひょっとしたら、昔にもこの地域に住んでいたのかもしれないと何となく思った。

神社を後にする私の心は、その日の青空のようにさわやかであった。あの霊は、大好きな布と花と一緒に、これからはあの木の所にいるだろう。私は自分の課題を無事終えることができたことに満足していた。

と、そのとき「People Who Don’t Know They’re Dead」の著者の講演会で、ウォリーさんが言った言葉をふと思い出した。

「もしかして、過去生で関係のあった魂かもしれないね」

私は今まで何度も帰郷しているのに、あんな風に病気になったことはなかった。振り返ってみると、今回のことは、夫の甥のJ君が発端になっているように思えて仕方がない。J君の魂は、昔自分がいた懐かしい場所を訪れていたのだろう。そして、彼を通して過去生の感情が蘇ったことで、私の中の閉じていたある部分が開き、それがこの霊を引き寄せたのかもしれない。それはいつの時代のことであったのだろう。もしかして、J君と私とこの魂は接点があるのかもしれない。

そして、これを書いている今、気づいた。そういえば、あの夢は私の友達を通して語るという設定だった。

もうひとつ、最初に私の背中から入った霊は、距離的に地縛霊の行動範囲ではなかったため、他の浮遊霊だったかもしれない。しかし、後からこの霊がエネルギーを抜き取っていたのは間違いないだろう。それは悪意があってやったことではなく、きっと赤い布と赤い花の「赤」に象徴される生命と活力にあこがれ、寂しさからやった行為なのだろう。それがデブラさんの言う「ちょっかいを出す」に当たるのかもしれない。そう考えると、生きている人間のような悩み多き霊に対して、逆に親しみが湧いてしまう。

結局のところ、真相は誰にもわからない。それでも、地縛霊が過去生の友達だったなんてことも、なきにしもあらず。

<おわり>

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