2008年5月14日

アイデンティティの再確立

一昨日こんな夢を見た。

友人と一緒に川が流れている所にいて、川岸でウトウトしていた。太陽の光が暖かく気持ちがよい。川の水は白っぽい水色で、沖縄で見た海の色を思わせる。

白鳥が一羽水の上に浮かんでおり、周りにはトンボがいっぱい飛んでいる。トンボは水面にもたくさんいる。また、水の中には小さい魚がたくさんいるのが見える。心が落ち着き、気持ちがよい光景だ。すると、白鳥が水面にいるトンボを躍起になって食べ始めた。

突然、川の上流から水が押し寄せてきた。危ない!うかうかしていたら水にのまれてしまう!取る物もとりあえず、私は友人と一目散に高台へと走って避難した。大量の水が押し寄せてきて、私たちがいた場所はたちまち水にのまれてしまった。

水が引いた後、先ほどの場所に戻ってみると、私の財布は流されてしまっていた。財布には、お金や身分証明となる免許証やクレジットカードが入っていたが、それが全てなくなってしまった。「ああ、お金も免許証もクレジットカードもなくしてしまい、これからどうすればいいのだろう!」と嘆いていたところ、流されずに残っていたものがあることに気づいた。それは、いつも旅行に行く時に持っていく、指輪などアクセサリー類を入れる布袋であった。開けてみると、赤いスカラベ(フンころがしコガネ虫のことで、古代エジプト時代のお守り)の指輪が出てきた。そこで目が覚めた。

白鳥とトンボは、頭の中に鮮やかなイメージとして残った。大水が押し寄せてくる様子は強烈だった。これは明らかにメッセージ。そう思ったので、テッド・アンドリュー著の「Animal Speak」を開いてみた。この本は、主にネイティブ・アメリカンによる動物界の智慧の解釈を説明したもので、私は特徴的な動物の夢を見た時には、この本を開くことにしている。

白鳥の特徴を見てみると、くちばしと足以外は真っ白で首が長い。また、翼は一打で人間の腕を折ってしまうほどの力があり、くちばしも強く、白鳥の寿命は長いもので80年ということである。

スピリチュアルな解釈として、白い色は太陽(陽のエネルギー)を象徴し、長い首は、頭(高次元)と体(低次元)をつなぐものである。その教えは、「醜いアヒルの子」に象徴されるように、外観に惑わされず、自分や他の人の中にある内なる美を見出し、それを外界へとつなげていくことである。自らの中にある美と力を見出したとき、人はそこから生命の力を得ることができる。

トンボについては、水の中にいる幼虫が成長し、やがて変容して空中を飛ぶトンボになる。水は感情を象徴し、水の周りに生息するトンボは、理性と感情の両方を表現することの必要性を表している。トンボが現われた場合には、特に自分の感情に意識を向けることが大切であるということだ。

また、幼虫から成虫になるまでにほぼ2年かかることから、2年の転換期を経て具体的な形が現われるときであるか、その転換期がこれから始まるか、または2年以内に望みを達成すべく変化を起こすときであると解釈される。

トンボは日中に活動し、その活動は夏に最も盛んになることから、水のそばで太陽の光を浴びることで活力が得られると解せる。トンボは太陽と光の世界に関係するが、光は一日を通して刻々と変化するものである。トンボの一生を見た場合も幼虫から成虫への変容をはじめ、死ぬまで何度も体の色が変わる。このことから、トンボは「変化」を示すものであり、自分の中で生じている変化を認め迎え入れるときである。私たちは光の存在であり、創造性を使ってその光を輝かせることができることを教えてくれている。人生は光と色に満ちており、錯覚に惑わされず、その奥にある真実を見抜くことで、自分本来の光を輝かせることができる。

う~ん、深いメッセージである。それにしても、白鳥がトンボを「食べる」行為はいかに解釈するのか・・・。そうこう考えているうちに、それよりも、大水が来てお金や免許証、クレジットカードをなくしてしまったことの方へと考えが移った。

実は、その夢の前にも、火山が噴火して溶岩と土石流が押し寄せ、死ぬ覚悟をしている夢を見ている。昨日は、自分は高校にいたいのに、そこには新しい生徒が入り新しい場所となってしまい、もはや私がいる場所ではなくなったという夢を見た。

これらを合わせてみると、やはり変化のときが来ているようで、免許証とクレジットカードをなくすことが象徴しているように、どうも自分のアイデンティティの再確立をすべきときに来ているようである。そのときにキーとなるのが、水が引いた後に出てきた赤いスカラベの指輪。古代エジプト人にとってのスカラベは彼らの精神性を表すもので、お金や免許証やクレジットカードとはあまりにも大きく異なるものである。

もうひとつ、興味深いことは、日本で書店に入って真っ先に飛び込んできた本が「3日で運がよくなるそうじ力」(舛田光洋)。今、日本では掃除の力が見直されているようであるが、掃除で波動を変え変化を起こすというのには納得できる。日本から帰ってから、掃除をしてスッキリしたくてたまらない。それはもちろん、散らかっているからであるが、それに加えて、今回、帰郷してひとつ何かをなし終えた感があり、自分の中で何かが変わったことを感じているからであろう。

変化、アイデンティティの再確立、この言葉を胸に思い切って捨てるものを捨て、新しい自分と向かい合うときが来たように思う。

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