2008年3月23日

春分から始まる再生

3月20日の春分は昼と夜の長さが同じになる日。陰と陽のバランスにおいて、陰の性質が強い冬から、春分を基点に、夏至に向けて陽の性質が強まる。陰は下に内に引っ張る力に対し、陽は上に外に広がる力。その宇宙のリズムの中で生きる私たちにとって、春分は自分の中の光と闇、陰と陽のバランスを再確認するときであると言えよう。これからは昼が少しずつ長くなる。知らず知らずのうちに自分の中に溜まったこだわりや思考のパターンを手放し、新しい自分に向けて前進するときが来た。

宇宙は常に変化しながらも、循環している。自然界の川の流れは、人間においては気の流れにも通ずる。そして、私たちひとりひとりの血液の流れ、気の流れは小宇宙と見ることもできる。

水の流れを見てみると、川の真ん中はとどまることなく流れているが、端の方にはよどみができることがある。うまく流れていない所、それは体でいうと気が停滞している部分であり、思考でいうとこだわっている部分であろう。

ここ1ヶ月、私の中でよどみができていた。仕事をはじめ、社交生活、家庭生活において、自分の意思に反することや周りに影響されて、うまく舵がとれない状態にあり、自分の気持ちを一番後回しにして我慢をしてしまっていた。自分が情熱を感じることに時間を割きたい、前へ進みたい、そう思っているのに、足止めを食らって拘束され、じれったい思いをし続けていた。他人の都合や問題は、私がコントロールできる範囲のものではない。それなのに、それがすべて自分に降りかかってしまった。

仕事が波のように押し寄せ、昼も夜もなく働き、他にも次から次へと用事が湧いてくるため、結果的に時間に追い回され、自分がしたいことはどんどん後回しになってしまった。家の中は片付かず、汚れもストレスも溜まる一方であった。

家の中が乱れると、人間関係も乱れてくる。最近は、夫との波長がずれて、家の中でずっと不協和音が鳴り響いていた。二人とも忙し過ぎるのだ。会話も減り、二人で何か楽しいことをすることがめっきり減ってしまった。最近は、夫は譲歩してくれたり手伝ってくれることも少なくなり、夫の都合に合わせて、私はイライラしながらも辛抱強く待つというパターンになってしまっていた。

このようにバランスを失ってしまった私の体はストレスでカチカチになり、悲鳴を上げだした。思考は我慢と言う言葉で押さえつけてしまうが、体は正直である。

一方、その渦中にあって、もう一人の自分がバタバタしている自分を離れた所から冷静に見ていた。私は周りに振り回されて、自分の思うようにならない状況の中で前に進むことができず、我慢をしているうちに病気になってしまうというパターンを今までも繰り返してきた。今度も知らず知らずのうちに、その状況を自分で創っていたのである。しかし、今度は自分で気づいて、そこから抜け出さなければならない。結局、自分を変えるのは自分でしかない。前へ進みたければ、自分が動かなければならない。他人が動いてくれることはないのだ。

幸い、そのようなパターンに陥った今回の私は、以前より少しだけ賢くなっていた。私にとって、壁を打ち破るためには、自分の気持ちや感情を押し殺さずに、素直に出すことが大切であるということを知っていた。

すると、そこまで気づいたとき、そのもう一人の自分が、バランスを失った自分に助け舟を出してくれた。「まず、マッサージを受けること」それが自分からのアドバイスであった。

ふと、マッサージ師である知人の顔が浮かんだ。以前から、一度その知人にマッサージをしてもらいたいと思っていたのだが、どうもこのタイミングがぴったりだったようである。彼女に連絡をしたところ、幸いにも、すぐに予約がとれた。

私は、彼女に助けられたと思う。彼女は、私の凝り固まった体をゼラニウムのオイルで丁寧に、しかも力強くマッサージしてくれた。それだけでもかなり体がリラックスしたが、もうひとつ大切なことが残っていたのである。それは、顔のリンパマッサージを受けることであった。

マッサージといっても、もんだりするのではなく、顔の様々なツボに彼女の指先がまるで羽根のように軽く軽~く触れるのであるが、その指先が顔に近づくだけで「アッ」と声を上げそうになるほど、強烈なエネルギーが出ているのを感じた。そして、その指が私の鼻の頭に触れた瞬間、眉の間にある第三の目から額上部にかけて痛痒いほどの強烈なムズムズ感に襲われた。後で気づいたが、それはチャクラの掃除・浄化であり、ゴミで詰まった配管を掃除するような、また、曇ったガラスをふき取るような、そんな感じだった。

3月19日に受けたマッサージは、転換点の始まりとなった。マッサージが終わり、外へ出たときは素晴らしい晴天で、とても静かで平和な気持ちであった。

ところが、家へ帰るやいなや、心に嵐が吹き起こった。私は自分のいる状況に我慢ができなくなっていた。これ以上、周りに振り回されたくない。他人の都合で自分が足止めを食って、思うように前へ進めないとイライラしながら待っている自分に終止符を打ちたかった。このパターンをもう繰り返したくない。そう思ったので、夫に自分の気持ちを素直に表現した。すると、夫は私が理不尽に感情的になったと取ったようで、彼の顔は突然コンクリートのように硬く無表情になり、サッと冷たく引いてしまった。そして私を無視して、そそくさと外出してしまった。

まだ煙の出ている噴火口に蓋をされたような状態になってしまった私には、もう友人しかいなかった。有り難いことに、「クサクサしてるの~」の私の電話口の一言に、友人はとっさに状況を読み取ったようで、それじゃあ女だけで夕食をしようと言ってくれた。またしても、私は救われた。友人と会っているときは雨が降っていたが、話し終わって家へ帰るときは、私の心の雨も上がっていた。

マッサージでエネルギーのよどみがかき回され、その後、嵐のように起こった出来事。外的なことは内から起こる。体の中は混沌状態にあり、友人と話しているときに大量のハーブティーを飲んでいたにもかかわらず、夜中に異常にのどが渇いて目が覚めた。自分の中で、今までにない大きな浄化が起こっていたのであろう。

そして、明け方にこんな夢を見た。私はボランティアをしていた。仕事もあったが、それを後回しにして周りの人と一緒にボランティアをしていた。その後、寝ていたら、空から贈り物が降ってきた。ぬいぐるみやラッピングされた箱などが、バラバラと布団の上に落ちてきた。天からの贈り物だ。窓の外を見ると、空にギラギラ光る星でできたカニのような形をした宇宙船のようなものが、私を見下ろしていた。

翌朝、夫の態度は180度変わっていた。混沌の後の静寂。彼は私を一人の人間として尊重してくれ、私に対する思いやりを示してくれた。「私は前に進みたい」、その言葉が彼の中の何かを呼び覚ましたのかもしれない。肉体を持つ前の私との約束を思い出してくれたのかもしれない。

私にとっては、自分を信じて前に進むことが、今生のテーマの大きなカギになっているのである。自分にとって、本当に大切なことは何であろうか。日々の生活で起きる様々な事柄や忙しさにかまけて、私たちはいとも簡単に大切なことを見失いがちである。第三の目は心の目、その心の目は常に澄んでいるか。

マッサージをしてくれた知人、話を聞いてくれアドバイスをくれた友人、私を受け入れてくれた夫。結局、私は周りの様々な人に支えられて生きている。助け合い、与え、与えられ、愛と感謝の調和の中で、前に進みゴールに達するまでの過程を味わうことこそが、私の魂が欲していることなのであろう。

この日記を書き始めたときはザーザーと降っていた雨が、今はやんでいる。青空さえ見え出した。

今日は3月23日。アメリカではイースターサンデー。春分の後に来る最初の満月の後の日曜日、復活祭の日である。今朝起きたら「Renewal(再生)」という言葉が浮かんだ。春分を過ぎて、昼が少しずつ長くなる。心を入れ替えて、新しく踏み出すときである。

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