2008年1月2日

思いがけない年明け

シアトルで迎える大晦日の夜は友人宅に招待されて、持ち寄ったお節もどきをつまみながらお酒を飲んで年越しをしていたが、今回は神社で新しい年を迎えたいという気持ちになり、友人宅へはちょっと立ち寄っただけで、シアトルから1時間ほどの山の中にあるアメリカ椿大神社へと車を走らせた。日本の椿大神社は私の実家から車で20分ほどの鈴鹿市にあり、ワシントン州にあるのはその分社である。

午前零時に祈祷があるため少し早めに出発したが、フリーウェイを走っている途中、警察車の赤と青の瞬くライトが目に飛び込んできた。その瞬間、なぜか心が騒いだ。事故があったようだ。速度を落としてその横を通り過ぎて、11時過ぎに神社に到着した。

すでに十数人ほどの人が来ており、火の回りに集まったり、仮設のテントでお茶を飲んだりしている。まだ40分ほど時間があったので、他の人に混じって夫と並んで外で待つことにした。

この椿大神社は、規模は小さいが自然豊かな環境にあり、横に川が流れており、とてもよいエネルギーを感じる場所である。以前に2回ほど日中に来ているが、夏でもピリッとした空気が流れていて霊気が漂っている。

そんな中で年越しができることをひそかに楽しみにしていたのだが、私の期待は大きく裏切られることになった。神社に到着したとたん、すぐ近くでバンバンバンという大きな音がし出した。アメリカでは大晦日の夜に花火を打ち上げるので、それだと思っていたが、夫が顔をしかめて、あれは銃声だと言った。

ボン ボン ボン ボン ボン!すぐ近くで発砲している音が闇の中で不気味にとどろく。銃ってあんな音なのか・・・。日本では聞いたことがなかったので、夫に言われるまではわからなかった。パンパンパンパンパンパン!今度は短くて乾いた軽い音。夫によるとそれは拳銃の音だそうだ。空に向かって撃っているのか。次々に弾が込められ、銃口から飛び出していくのがわかる。ボン ボン ボン ボン ボン ボン ボン!これは、大きめの銃だそうだ。夫は、流れ弾が飛んでくるのではないかと気が気でない様子。

全く信じられない。いったいどこの阿呆がやっているのか。心静かに新しい年を迎えようとしているこの場所が射撃場と化してしまい、粗野で乱暴な人間によって脅かされている。殺したり傷つけたりすることを目的にして作られた道具を遊び道具にして、天に向かって乱射しているのだ。

100発くらいだっただろうか、嫌というほど聞かされた。あと10分たらずで午前零時。祈祷の最中もこんな風だったらたまらないと思うと、腹が立ってきた。気がついたらあたかも自分からエネルギーを噴射するかのようにお腹に力を入れて、私は「鎮まれー鎮まれー!」と心の中で叫んでいた。

間もなく外で待っていた全員が中に案内され、神事が始まった。ドン!という勢いよい太鼓の音が回りの空気を浄化し、不思議なことに銃声はぴたりと止んだ。そして、何か見えない力によって抑えられたかのように、その後一発も聞こえなかった。

年越参りは日本だったら大勢の人で押し合いへし合いになり、「置き引きにご注意くださぁ~い」と通路の横でメガフォンで呼びかけられるところだが、ここアメリカではこの時間には50人くらいしか来ておらず、神事を静かに見守ることができる。神々の名前が挙げられ、こんなにたくさんの神様がいらっしゃるのかと初めて知った。

さて、帰り道でもあちらこちらに警察車を見た。事故や飲酒運転、いつも大晦日はこんなに多いのだろうか。少し異常に思えた。

そして、極めつけとして、フリーウェイの出口を出たすぐのところにある1軒の家を10台近くの警察車が取り囲んで止まっているのを見た。暗闇に瞬く赤と青のライト。何か大きな事件があったみたいだ。この数だと、殺人事件か何かだろうか。アメリカに住んで15年になるが、こんなにたくさんの警察を見たことはない。

年末にかけて、いくつかの言葉が心に響いていたが、大晦日に見たことは、決して偶然ではなく、何かのメッセージだと私は感じている。

12月に入ってすぐには、
「飛躍」と「jump-start」という言葉が浮かんだ。jump-startというのは、バッテリの上がった車をスタートさせるように、思い切って活性化させるという意味が一番近いかもしれない。

年末にかけては、英語では
violence (暴力)
disaster (災害)
intensify (激化する)
pivotal (極めて重要な)
という言葉が頭に浮かび、

日本語では
事故・事件の多発
暴力化
命にかかわる危険と隣り合わせである状態
という言葉が浮かび、

それに加え、

日本では平成20年というきりのよい数字の年
ねずみ年という十二支の頭にあたる年
アメリカでは大統領選挙のある年
というこの3つは、あるサイクルの中で重要な年であることを暗示しているように感じる。

また、数字的には「2008~2012」に特別な感触を受ける。

今年は、地球レベルで起こることが激化し、気象・安全・経済において「今までになかったようなレベル」の物事が起こり、人間の持つ性質の両極端(つまり善と悪)がはっきりと隣り合わせになった状態を見ることになるかもしれないと感じる。時間のスピードはますます加速し、ストレスレベルも上がる中、竜巻状態の中に入って振り回されるか、外にいて客観的に見るかのどちらかにはっきり分かれてくるように思う。

そして、「心してかかれ」、「真剣に生きろ」という言葉も響いてきた。

言葉だけを見てみると、良くない年のように響くかもしれないが、そうではないと思う。新しいことが始まるために必要な変化で、今までに軌道から大きくそれて進んでしまった社会や諸々のことの「立て直し」が実際に始まる年ではないかと思うのである。それも、jump-startという形で・・・。

以上は、まったく個人的に感じたことを書いてみただけで、意味のないことかもしれない。しかし、「心してかかれ」「真剣に」という言葉は私の心に強く響いてきており、私は得てして中途半場な態度で物事に当たる傾向があるので、自分の軸をしっかり持って、真剣に取り組まなくてはいけないと自分に言い聞かせているところである。そして、物事に振り回されず、平常心で事に当たりたいと願っている。

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