2008年1月24日

こだわり (8/17/2007のブログ)

ちょっと遅れますが、一昨日強く心に響いたメッセージを。

・ 頭でゴチャゴチャ考えない
・ 心が導く方向へ
・ 成り行きにまかせる

実は今、ある人と行動を共にして学んでいることがある。それは、「こだわり」ということである。

こだわることは物などをクリエイトする世界ではプラスになることが多いが、日常の物事において度合いが過ぎるとマイナスになるように思う。

何がそうさせているのだろうか。

こだわることで制限がかかり、流れるエネルギーが止まってしまう。

例えば、過去のある出来事を今でもしっかり覚えていて、そのことにこだわって感情を開放していない。色眼鏡をかけた状態なので、その世界に閉じ込められたままになり、周りはどんどん変化しているのに、自分だけその一点にいる状態である。

マイナスの方向に向いたこだわりのエネルギーはとても粘着性があり、コールタールのように感じる。思考がある一点に執着しているため、一緒に行動していると、あちこちに粘着物がくっついてくるような感じである。

小さいことにこだわって前に進めなかったり、行動が制限されて見る世界が狭くなってしまう。ひょっとしたら、この「こだわり」は足や目に影響するかもしれない、と感じる。

一昨日は、この人と一緒に海を臨む小高い場所にある「パイクプレイス・マーケット」という市場に出かけたが、そこでとても興味深いことが起こった。

この日はこれ以上ないというくらいの晴天で、海が太陽の光を受けてキラキラと輝き、それはそれはきれいな光景であった。

海を見た瞬間、「そばまで行ってみたい!」という衝動に駆られ、お互いにパッと顔が輝いたのだが、その後すばやく彼女の頭が回りはじめた。海までは、長い長い階段を下りなければならなかったのだ。

「階段は大変だ」「自分は足が悪いので、歩けなくなったら相手に迷惑をかける」「不安だ」「ここで歩いて、明日歩けなくなったらどうしよう」・・・というようなことを考えているようで、その挙句、彼女の口から出た言葉は「まあ、海はどこでもいっしょだろうから、別にわざわざ行かなくてもここから見ているだけでいい」

日本から来た彼女が、シアトルの海を見て「どこでもいっしょだろうから」と言ったとき、私は直感的に「これはいけない」と感じた。体験する前に理屈をつけて頭で決めてしまうと、そのままを心で感じ取ることができなくなるからである。しかし、彼女の心は明らかに「行ってみたい」と言っていた。

私は「行ってみよう、ゆっくり行くから」と言って、先に歩き出した。幸い、降りる方が楽で、彼女の足腰にあまり負担はかからないようだ。途中でエレベーターがないか探し、それらしき物があるのが見えたときは、彼女の顔も明るくなった。でも、結局それは故障していて動かないことがわかり、不安な気持ちが戻ったようであった。

私も頭で考えると、帰りにこの階段を上るときどうなるのか、彼女の足は明日痛んで歩けなくなるのではないかと心配になり始めたが、何かの力がそれを邪魔するようにすぐに頭が真っ白になってしまい、「ま、いいか。後は野となれ山となれ」という具合。

それでも、何の問題もなく海のそばまで来ることができ、さんさんと輝く太陽の下、磯のにおいをかぎ心地よい風を頬に受け、「あぁやっぱり海はいいねー」と言った彼女はとても満足げ。それは、何にも変えられない心地よさだったのだろう。私は「ここまで来られてよかったね」と心の中でつぶやいた。

さて、帰るときに興味深いことが起こった。長い階段へ戻る途中で信号を待っているときに、足の悪い高齢の母親を連れた息子が前に立っていて、「エレベーターに乗ろう!どこにある?」と大声で話しているのだ。

迷いもなく、私たちはその母息子に加わって、信号の向こう側にある駐車場まで歩いた。もちろん、駐車場にはマーケットまでのエレベーターがあって、私たちは全く階段を使わなくても元来た場所に戻ることができたのである。

壊れたエレベーター以外にもエレベーターはあったのだ。でも、来るときはそのことを知る必要はなかったようである。

あまりのタイミングのよさと完璧さ。これは、天からの助け、というかご褒美だったのだろう。

「頭でゴチャゴチャ考えずに、心の導く方向へ成り行きにまかせて行きなさい」「ほらね、大丈夫でしょう」そう言われているようだった。

彼女といてこそ体験できる、学べるということを知りながらもついイライラしてしまったり、きつい言葉を発してしまう私はまだまだ未熟者である。それは、私の中にもコントロールしたい部分があるからだろう。私にも「こだわり」があるからなのだろう。

こだわりを捨てて制限をとり、心と対話をして感じるまま、風まかせの生き方ができたらどんなに楽だろう。どんなに楽しいだろう。そうしたら、見える世界が全く違ってくるだろう。それは、ちょっと意識を変えるだけでできることなのである。

私もそうなりたい。

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